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スティーブ・ガッドは、70年以降のドラムを劇的に変えた。

スティーブ・ガッド

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スティーブ・ガッド(Steve Gadd)

1945年4月9日、
アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ。

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
ドラムのスタートは、
軍隊のスネアプレイヤーだった
祖父の影響から始まります。

祖父のレッスンを受けながら
ロチェスターのイーストマンカレッジで
ドラムライフを過ごします。

その頃から、ナイトクラブでは
チック・コリアなどと共演しています
(プロになる前)。

そういったこともあり、
チック・コリアとの共演は
その後も続きます。

60年代後半から兵役に就き、
本格的なプロドラマーとしての
スタートは1971年からになります。

ポール・サイモン、
スティーリー・ダン、
アレサ・フランクリンなどの
メンバーとの共演で
70年代、80年代と人気を博します。

日本人のプレイスタイルを変えたドラマー

70年代、80年代の
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
ドラム人気は凄まじく、
日本でも大ブームを引き起こしています。

一説によると
外人ドラマーから見た
日本人のプレイスタイルは、
全てスティーブ・ガッド(Steve Gadd)に
似ているそうで、
その影響力は計り知れません。

管理人川端の体験談

私がドラムをスタートさせたときは、
80年代半ばでしたが、その当時は、
どういったものが上手いのか
分かりませんでしたし、
今のような情報もありませんでした.

ですので、
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
名前すら知りませんでした。

しかし、
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
プレイを盗んできたプレイヤー達や
先生に会うと次第に
その偉大さが理解できるようになっていきます。

私が一番、
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)から
影響を受けたことと言えば、

『ルーディメンツ』の重要性と、

『ラテンのアプローチ』です。

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)のルーディメンツ

それまでドラムと言えば、
8ビートや16ビートと言われる
パターンの羅列しか出来なかったのですが、
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
ルーディメンツを駆使した
線の細いカミソリのようなドラムは
本当に

『憧れるスタイル』

を私にもたらしました。

おそらく、リアルタイムで
聞いていた多くの日本人ドラマーも
同じようにルーディメンツの大切さに
気付いたはずです。

でないと、
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
プレイスタイルが多くならなかったはずです。

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)のラテンのアプローチ

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
プレイするラテン・ドラムは

『モザン・ビーケ』

と言われるパターンです。

通常のジャズメンがプレイする
アフロ・キューバンのパターンと
全く違います。

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
モザン・ビーケのパターンは、
16ビートを基調としており、
当時のフュージョンと
大いにマッチしています。

私もアル・ジャロウの
スペインで演奏している
モザン・ビーケを一生懸命練習したものです。

避けては通れないドラマーの一人

今では
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
プレイは当たり前になてしまい、
古典的な部類に入っていると思いますが、
追求するしないは別として、
やはり、ドラマーとして
一通り聴いて練習すべきと思います。

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
サウンドも特徴的だと思います。

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
音って何か重い感じがしませんか? 

私はいつも思うのですが、
明るく軽いというよりは、

『ズドッ』と

重い感じがするのです。

スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
シグネチャースネアである
YAMAHAのSGも極力倍音を抑えた
モデルになっています。

おそらく
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)の
好みなのでしょうね。

やはり、
スティーブ・ガッド(Steve Gadd)は
伝説と思います。

もし、スティーブ・ガッド(Steve Gadd)が
いなかった場合のドラム界はどうなって
いたのだろうと思うと
想像ができないんですね。

今のドラム界は全く違ったものに
なっていたかもしれないと考えると
少し興味が湧きます。

最後にお勧めのアルバムをご紹介して終わります。

スタッフ
定番中の定番です!

アル・ジャロウ ジスタイム

スティーリー・ダン エイジャ

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